まっすぐ伝えないこと(絶望に効くクスリ マンガ)
伝えやすいメディアを持っているということは、政党を持っているのと同じではないかと思う。
それが(かなりの割合で)個人のものであるという、マンガはひときわ気をつけなければ危ない。

マンガの「伝えるちから」は今更説明の必要もないけど、この作品は、また異色。

作者が「絶望に効くクスリ」を求めて、各界の著名人に、希望のコトバをもらいにいく、レポートマンガ。スタンスとしては「その人のしごと」を説明して、興味がわくように伝えることに徹している。

とても作者の「我」と「画」がつよいので、そこが気になる人もいるとおもう。でもそこが、適度な弱点になっていて、メディアとしてのシリアスさをうまく緩和している。

僕は、実際にこのマンガを読んで興味を持ったひともおおい。手法もそうだけれど、内容にも、けっこう影響されている。わかりやすい。「ああ、ぼくもこういう風に取り上げてもらえるような大人になろう」とか考えると、「人生の企画書」は描きやすくなるかも。

「絶望に効くクスリ」というタイトルから手に取った、悩める若い人がへこんでしまうのでは?と思うほど、「しっかり自分の考えを持った大人」の姿を描き、その多様性を伝えている。「自分の仕事をしている人は美しい」のだ。

うん、「自分の仕事をしている人は美しい」。

身の回りの大人が尊敬できない、うらやましくない、と思ってしまう現代の若者に、「筋の通ったかっこいい大人の姿」を見せるという意味では「絶望に効くクスリ」となるのかもしれない。

対照的なのが「ゴーマニズム宣言」ではないかなと思う。こちらも初期には「いろんな人や物事」を伝えるスタンスをとって、「ゴーマンかます」というスタイルで「強く言い切る」大人の姿を自ら担っていた。その後ずんずん思想と戦いの日々に突入しちゃったのだ。
こちらはもはや「同調/反対する観客」か「自らも武器を持とうと高揚する」以外に参加方法がない。

メディアって怖い。
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# by kouichisugimoto | 2006-05-23 20:30 | 日記とか考えたこととか