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わたしショップとは
場所代を支払ってフリーマーケットに出るの
じゃなく、その日、商店主になって、まちに
「ご縁」を結んでほしい。

わたしショップは、優れた「省スペースお店
ごっこキット」ですが、ただの屋台ではなく、
「やあやあこんにちは」を生み出す装置です。

企  画:世田谷ネット
デザイン:43    

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名前には一応理由があり、銀座の沖縄のアンテナショップ
「わしたショップ」をもじったのです。

わした、は沖縄の言葉で「わたしたち」を表し、
わしたショップ=「私達の店」

対して「商店主になる」というコンセプトから「わたしのショップ」なのです。
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by kouichisugimoto | 2007-11-21 14:20 | わたしショップ
「したのやえんにち」開催、わたしショップ出動。
23日金曜、とうとう「わたしショップ」がデビューする。

もぉやきもき。

どきどき。

夕べ、関係者がふらりと現れ、図らずも座談会のごとく、まちを語っていただいた。

みな、下ノ谷で育ったひとたち。

いま失われてしまった(といっても過言でない)、人のつながり、輪、そんな中で育った人たちの話は、貴く、しかしどこか切ない。「わたしたちはそれが当たり前だと思っていたのだけど」という言葉は、重く、無邪気である。

大勢で囲む食卓。

よそのうちで子どもが晩ご飯を食べる。

そんな「当たり前」は、もう、今や「金を払って受けるサービス」としても成り立つのだ。サザエさんか、ちびまる子か、渡る世間のような世界はドラマの中の話だと、僕は思っていた。

そんな方々が協力しあって、まつりを作る。僕は裏方だけど、意外と責任重大で、結構プレッシャーがううううううううううううううううううう。笑

ご用とお急ぎでない方は、遊びに来てくださいよ。きっと、たのしいすよ。
つくりものではない「三丁目の夕日」の、「今」が、見えるはず。
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by kouichisugimoto | 2007-11-19 20:02 | わたしショップ
アートフリマ考
アートフリマが、まちづくりイベントとして発展するための分析と、展望
(かきなぐり版)

■多くの人が通る場所
コミックマーケットとデザインフェスタ、をものづくりイベントの一つの完成型と、僕は見る。しかし、本来ローカルにあれば地域性や独自性から、充分に「まちづくり的」イベントであるはずのこれらは、同好の集いプラスアルファ、くらいになっており(それだけに求心力もあるけれど)、「よりおおくの、道行く人たち」のいない場所で行われている。
(僕は趣味で描いていた絵を数点、なじみの喫茶店に飾ってもらったことがあるがが、グループ展でギャラリーを借りたときよりも、「直接的ではない多くの成果」を得たと感じた。「観てほしい人」にとっては、「自分(の作品)と出会ってほしい」という、強い思いがあります。)

以前、府中のデパートの前庭(通りに面している)で行われたアートイベントを視察に行ったが、そこは道行く人たちに向けた形で店を並べるスタイルだった。
主催者は、「パリの、日曜の広場のイメージだ」といった。デパート側には「費用の掛からない賑やかし」をプレゼンしていた。とても影響を受けた。


■二人のお客さんとイベントとしての利点
イベントとしての強みは明快で、主催者が支度するものが少ない、という点。
飾るものも、タイムスケジュールも、司会者もいらない。代わりに、場のすべてを構成してくれる「出展者」というお客と、それを観る「来場者」という、二種類のお客が居る。逆に言えば、主催者は、二種類のお客様を相手にしなければならない、困難なイベントでもある。


■WEBの事情と情勢
ものづくり作家の紹介WEBは約10年前から、活発に発生/消滅している。結局は、作家が期待するのは「売り上げ」「なんらかの仕事、その可能性の発生」であり、WEBという「場」を用意したところで、それは何も役割を果たさない。コーディネーターによる積極的なマッチングや、その成果を発表するなど、人間の動きが不可欠。


■個人と公共が出会うきっかけとしてのものづくり
ある福祉施設がある。支援者500人に毎月送る広報誌、更新するサイトを持っている。その近所に、ちょっと人付き合いの苦手な、イラストの得意な子がすんでいる。
ボランティアでもなく、仕事でもなく、それをマッチングさせることができたら。


■公共施設のよい使い方としてのものづくり
ある表現者が居る。あるいはグループがある。NGOやNPOには関心はない。
しかし、地域活動につながることで、自分たちの発表の機会が得られる・・・公共施設を
使えると、知れば。NGOやNPOを識り、売り上げからドネーションをするという「手法」と出会うことで、いままで「無」であった関心が、生まれ、伝わり、関わる可能性が出る可能性がある。それをよしとしたい。
>>施設におけるコーディネーション、NPO/NGOとの仲立ちをすることが重要


■広報費と人件費
主催者側に求められるのは「空気づくり」と「イメージづくり」、そして「方向性の提示」だと思う。ネガティブな感情が生まれにくい環境・会場づくりをし、イベント全体のカラーを定義し、かつ、目的が何であるか、を言い切ることだと思う。そのため、広報費と人件費に掛ける費用について、重要と考える。
「個」の世界をそれぞれに、制限付きであれ、展開しながら、「ともに時間を共有している」ことを充分に伝えていかないと、トラブル発生の可能性は高い。主催者の「仕切り」が、従来のイベントとは違うことをよく学習すべき。


■理想の「地域ものづくりイベント」の姿
・福祉作業所の商品
・NGO等が扱う商品
・NPOが活動をPRするための商品
・イラストレーター、ライター、雑貨作家などのつくる商品
・それを目指すひとたちのつくる商品
・趣味、自己表現としてつくられる商品
・上記のようなものを体験させるワークショップなどの商品
・イベントとしてみんなで作る作品
まだまだあるが、これらをすべて「混ぜる」ことが鍵になってくる。
混ぜることで、それぞれの「ものづくり」たちの弱みは補完され、同時に
「自分の表現を成長させるための」出会いの期待も高まる。
もちろん、来場者にPRする魅力のUPにもなる。

>>混ぜていくデザイン、交流する仕組み作りが今後の最重要課題。


■それぞれのものづくり現場が抱える問題とは
「福祉まつり」「コミックマーケット」「イラスト展」「NGOショップ」などは、いずれも商品の内容と言うよりは、自分たちのスタンスの宣言をしているのであり、「客=来場者」にとって訴えるものではない。メッセージは、看板のうしろに書くべきものであり、来場者をどう処遇するかに専念する視点が大切。
だが、同好の士のみで企画すれば、主張を隠すことは困難である。混ぜることで、ちょっと俯瞰し、その客観視点をもてる。
「みんないっしょ」に、物足りなくなったとき、初めて、自分たちの看板とメッセージを前面に出せばよいのでは。
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by kouichisugimoto | 2007-11-13 23:39 | 日記とか考えたこととか
取材してもらいました。
デイリーポータルZ&マツモトさんのおかげさまで、TBSラジオに取材してもらいました。レポーターの佐藤しほ里さんが美しくて若干あがった。(生放送であがったわけではないというところがずうずうしい)

安住さんとしゃべっちゃったよ〜!すげー。

「安住紳一郎の日曜天国」。日曜の午前中の2時間番組で。
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/
記事リンク
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/odekake/20071111.html

とりあえず記録〜
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by kouichisugimoto | 2007-11-12 00:13 | 耕業と避難訓練カフェ
おもしろくないことはよくないことだ。
(風邪引いて集中できず散漫な文章になりました・・・上手くまとまりませんが、実際、迷いの中にいる訳でして、読んでやろうという方には申し訳ないですが、お許しください。)

■お上の仕事
行政に近からず遠からず・・・みたいな仕事をしていると、つくづく自分の中の「お上」意識に気づく。お上に文句を言う市民、お上にさからう運動家。ぼくは言ってみれば「おもしろいでしょ?という名の下に批判する運動家崩れ」みたいな感じか。

かつて僕の居た組織は、わりと左翼的スタンスの事業体で、「日本の民主主義は、勝ち取ったものではなく、与えられてお上が作ったものだ」といったような論を初めて聞いたのも職場でだ。けれど、「そうだそうだ」と思いつつ、「そんなこと言われてもなあ・・・」と感じていた。

今思えばそれは打開のアテのない、閉塞した感じ、を感じたのだった。

たとえば「橋」。かつては資産家の個人がコミュニティのために作ったり、金を出し合ったりして作っていたが、いまある橋はほとんどがお上の作ったものだろう。

一方、革命をして、王様から民主主義を「勝ち取っ」た国は、橋も道路も「わしらのもの」である。(だから街にゴミを捨てない、などという例えで良く聞いた話。)

でも、今や、お上が作ったものはあまりにも途方もなく、対立(するはずの)概念は具体性がない。自民党風味なものたち同志が争うことが、いつだって話題の中心だし。


■市民運動家の理想社会
究極に、日本の市民運動家たちの理想とするところは、「市民社会の実現」「市民革命」のようなものであり、自民党風な世の中の転覆であると思う。

でも、今やそれらは(まとまりがないので「彼ら」とか言わない)、日々自分の小さな庭を耕しながら、社会を傍観しているように思える。たまに文句言いながら。

革命や転覆を「起こす」ための上手いやり方は、結局見つからなかったのだろう、と思う。「運動」はそのイメージを一旦、おとしめられた(敗者だから)。たぶん、メディアの力によって。

街でデモ行進をする人がいる。ビラを持ち、ハチマキと、旗をもって。
署名運動をする人がいる。拡声器で、声をからして訴えるのは、正義。

かっこいいと思う人もいるのだろうか?僕は、長らく辛かった。なぜって、許された場所で、許された形でしか、やっていないから。創造力がないのか、表現方法がないように見えるから。檻の中の絶滅危惧種のようだった。

(※いまは、おもしろい人もいっぱいいますし、サブカルっぽい取り上げられ方も定着してきたように思う。)


運動は本来、神輿さながらに「ワクワクドキドキ」するものでなければと思う。わけもわからず、熱に浮かされ、うっかり参加してしまい、あこがれる人が出来て、はまって、あとから勉強するとか。

・・・そういう風潮を「不真面目、不謹慎」として、理性的にあろうとする(よくわからんがストイックな感じの)態度が、「はやらなかった」原因なのだと思う。

はやらないものは広まらないとおもうのだ。


■「事業」の形を以て「事業」を制す
今日から明日への日々を、今年度から来年度への日々を、進めていくことについて、官の力は重要だし、せっかくここまで高度に進化したのだからこのまま行けばいいと思うのだ。3年後以降のことは、考える必要がないシステムなのだ。(いいすぎか?)

だから、新しいことをやったり、「将来」や「未来」ビックリビジョンを生み出すのは、事業を以て社会に関わる、社会事業家の仕事であろうかな、とおもう。

ここで僕のイベント屋、アイディア屋としての真価が発揮・・・されるといいなと思う。

やっぱ・・・時代はNPOなのか?でも、なんか上手い方法はないかしらん・・・。
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by kouichisugimoto | 2007-11-08 00:01 | 日記とか考えたこととか
世田谷アートフリマはステキだと思うことの説明。
夜が明けたら、お日さまがぐあーーーと昇って、そしたら、まつりが始まる。僕らが産み育てた、僕らのまつりだ。

世田谷アートフリマも気がつけばもう8回目だそうな。
おもえば2003年秋に第一回目を開催、途中から好評にて年二回となり、そうか、もう2007年も終わっていくのだね。30代も半ばになるはずだ。

今回は、世田谷美術館の、前庭での「出張バージョン」を試みます(土曜だけ)。久々に、心地よい緊張感。当日、三茶に僕がいないのも、5年間ではじめてのこと。

合計100組の出展者、来場者数コンスタントに10000人オーバー、過去、ほぼ、雨知らず。・・・これはイベントの「データ」。

すごいよねえ。たくさんの人の休日を、その週末の幸せを、預かっているような・・・それは錯覚なのだけど、そう考えると、なんだかすごく、力がわく。みんなで、「楽しくしたい」という想いの元に、作っていくから、暗い力にじゃまされない。神さまって言うのは、そういうときに宿る、目に見えない力のことかもしれない。

ねえ、だから楽しいに決まってるし、来たら楽しくなるし、せたがやじんと握手すると、それはもっと伝わるんだよね。だから、遊びに来たらいいんだよ。いっしょに楽しみましょう。

今回も、暖かな秋晴れをよろしくお願い、お天道さま。

僕の仕事は、祈ることだけ。安全と、楽しさを。でもそれ、とても大切。
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by kouichisugimoto | 2007-11-03 00:39 | 日記とか考えたこととか