カテゴリ:日記とか考えたこととか( 51 )
ボールペンと遠い空
■ぼくのほしいもの

なんかの記事で読んだ新商品「短いボールペン」思い出して、ほしくなった。
好きそうな、たかしちゃんに話したら、「それはよいものだ」との反応。
そしたら、もっとほしくなった。

しかし記事が見つからぬ。「短い ボールペン」等で検索するが駄目。

勇気を出して、東急ハンズに行ったときに、短い、最近発売された、3色ボールペンのことを聞くも、「それだけでは・・・」と、店員さんも悔しそうにしていて、それが更に申し訳ない感じに。

今日おもいついてグーグルのブログ検索を使ったら一発!スゲ。トンボでした。
http://www.tombow.com/company/press_backnum/080125.shtml


■賢い人、遠い国。

僕には想像力がない。みうらかずよしのニュースしか、いま世の中には無いのだと思っていた。そうだよな、そんなわけないよな。頭を殴られたような感じ。

たまにブログをのぞく。[イルコモンズ]さんの記事。(面識はありません。)
「日本にいて、しないことで、できることのリスト」という言葉が、秀逸だ。
http://illcomm.exblog.jp/7425662/


一通り読む。「ぼくはどうしたらいいのだろう」 とつぶやく。夜の海に投げられる小石のように、それは波と波音と暗闇にとけてしまう。



そんなとき、ある人から得た、たったひとつの言葉が、僕を救う。

にんげんは 自分の美しいと思うことに とりくんで生きていけばいい

いまは、僕にとってはこれだけが、真実だ。必死で、じぶんの信じた道を歩く。

今日は、悟りとヨガと脳と仏道について、充実したお話をかわす機会に恵まれたのだけど、今の僕には、上記の言葉と、絵本「100万回生きたねこ」以外の「ほんとうのこと」は、まだないみたい。いいのか悪いのか、いい歳になってきたのにね。
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by kouichisugimoto | 2008-03-12 22:34 | 日記とか考えたこととか
惚れられる道を追う。
ある「その道のすげえ人」に、お会いする機会があった。

感じたことは、困難な道を、それでもまっすぐ進む、「力の量」だった。
すごいボリューム、エネルギーだった。こりゃ、惚れるわ。

起業やらビジネスやらという「行為」が、「一般しろうと」の中にも普及しはじめていて、猫も杓子も「自分を探し」「おれ」で「いける」のではないかと思っている状況。

そこを食い物にする、サービスやらシステムやらメソッドやら。ああ非道いよ浮き世。

自分なんて、探したって見つからないのかもしれない。
持って生まれた人もいるだろうし、
ある日突然理解する人もいるかもしれないし、

「つくりあげること」には努力も才能も時の運も必要だ。
どんな小さな企画でも、道ばたの商店でも。ましてやビジネスなんて、「直接自分を介さなくても惚れられる」力が必要だ。それってすんごいことだ。

「これが私の生きる道」と思える道に出会うことは幸せだが、恐怖だ。
うまくいこうが野垂れ死のうが、もう逃げられない、それが「道」。

だったら、何かに属して、生きる糧を得て、余暇を輝かせるほうが、
単純に確率として「幸せになれる」。


「だれもが、つんく氏に才能を見いだされ、デビュー出来る」
「だれもが、ビッグビジネスを自ら起こしてヒルズ族になれる」
そんな可能性が、存在しちゃってる世の中って、実はステキじゃないかもしれない。

さらに「楽してビッグに!」という希望を叶える(叶えるならいいが)商売が横行するにあたり、いよいよ闇は深くなる。身の丈どころか、自分の形もわからなくなる。

おかげで、僕はぁ、自分探しをこじらせて、苦労してる訳だぁよ。
ま、デビューとかビッグとかを指向しなかったせいで、ひどい目には遭っていないが。




今日、【ひとつ確信したこと、発見】がある。

「気力」に形はないけれど、それが相手を巻き込み、空間に影響し、それが、伝える力や、伝播力になる。最終的には対象を「その気」にさせる「空気をつくりだす」のが、物事の成否を分ける。

それはビジネスでも、なんタラ商法でも一緒なんだ。

想いが強ければいいと言うわけでもない。形にするには、技術も必要だ。

凡才は「プレゼンの極意」を読み、まねれば、充分に恩恵を得られるが、
「空気をつくりだす」能力というのは相当な者だ。

物事を実現させると言うことは、「想いの力を形にすること」。
それって、世界を創造したという、神さまのやった仕事とおなじ。

すげー。それがわかっただけでも俺すげー。俺、えれーー。

うん、まあ当分はこれで充分だ。 笑
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by kouichisugimoto | 2008-02-18 00:15 | 日記とか考えたこととか
動いてから考える。
僕は

動いてから考えよう。
創り出してから説明しよう。
うまくいってから人にうり込もう。

そのために、

耳を澄ませて、よく見て、感じる力を鍛えよう。

勘に頼るのではなく、信じられるほど、勘を養う。



僕は特殊だ。

非営利の世界でアイデンティティを確立し、そこから飛び出したため、いまだに経済活動に疎いかわりに、世の中に対して、相当おもしろい感じ方をしているのではないかと思い始めた。

最近は、経済や会社も学んできたけれど、やっぱし、「いいなコレ」とは感じられなかった。

その理由もわかった。非営利界にはあった「強力な、おもしろい、きれい事」が、今野社会には、ないのだ。


僕の考え出すことは、おもしろいとおもう。

僕がおもしろいと思う【こと】≒【事業】は、「強力な、おもしろい、きれい事」を、意識することなく、目指している。


ようやくそれを認識してきた。
迷う必要はないのかもしれない。

ちょっと試してみる価値はある。
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by kouichisugimoto | 2008-02-14 21:32 | 日記とか考えたこととか
場所を持つこと、つながること
いまカフェを直している。ここはいい場所だ。わけもわからず開けた
場所だけど、おかげでいろんな人とつながった。ありがたい。

そういうわけで、新しいカフェは「豪華」だ。
これまでの繋がりそのものがメニューだ。

関心のある人は多くないかもしれない。
が、あえて不特定多数を相手にしないことにする。
顔見知りと、わずかな紹介者がいる空間で、僕は
繋がりをつくるコーディネーターとして、僕はその場にいることになる。

僕にとっては贅沢な試み。
でも参加者(かつてお客様と呼んだ対象)にとっては贅沢かな?どうだろう。
いやいや、そんな不安、いままでの迷いに比べれば。




1)カフェ=人の集う場所 なのだ。
「飲食」は、人と人とがつながるためのツールでしかない。
照明と同じ、音楽と同じ。「カフェも方便」とはそういうこと。

2)つくった物はスタイルとして発信する。
僕はこういう人間です、こういう事をしています。こういう事がしたい。
響きあうには、まず自分を鳴らさなければいけないんだ。
問う物がないのに、自分を「出す」のはつらいばかりだったから。

3)スタイルはつながる
共感。瞬間であっても、それはリンクしていく。必ずしも親しくなくていい。

4)与えあい、広げていくこと
ひとは、流れ、とどまり、収縮し、拡散する。出会いの中で何がくみ取れるかは
タイミングのたまものだ。だから、繰り返し出会い、時間を堆積させる。



大事なことは、自分の頭で考えることだ。
(そのためには、自分の意見を持つことをおそれてはいけない。)
 (そのためには、何が得手か・好きかを真剣に考える。)
  (そのために必要ならば、自分探しもやむをえない。)

かっこわるくたっていいよ
そんなこと問題じゃない。
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by kouichisugimoto | 2008-01-29 21:30 | 日記とか考えたこととか
ブルーハーツを聴いていた頃
ゲーテに触れたとき、自分がドイツ語を解さないことと、彼がいま居ないことに絶望を感じたことがある・・・って、10代の頃の話。

言語や文化の違いと、社会背景の違い。理解し得ない壁のようなものを悔しく感じた。

そんなこと悔やんでも(悔やんでどうする)しかたない、とようやく気づき、そのおかげか、いま、同じ時代を生きていて良かったと思えるひとたちに出会うと、ほんとに嬉しく感じることが出来る。

ここのところ冬眠モードで、拡散した思考を上手くまとめられなくて、必死で事務作業をこなしながら、でも「毎日ボーゼンと」過ごしていたのだけど。

今必要だったのは、ブルーハーツだったみたい。



ちゃんと聴いたのは何年ぶりだろう。

ひととおり、聴いてみようとおもう。中学2年生の時、「リンダリンダ」を聴いた。そのころよりも、ちゃんと感じられるようになった。
いまさらながら、閉じてたなぁ当時。

ブルーハーツからハイロウズ、そしていまクロマニヨンズになって。
直接的なメッセージではない、何かを伝えようとしている。

でもなんか、「おんがく」を聴いている気がする。楽しい「感じ」や、まっすぐな「感じ」、説明出来ない「感じ」を「おんがく」にしていこうとしてるきがする。

たのしいことを、たくさんしたい。
おもしろいことを、たくさんしたい。

甲本ヒロトと真島昌利のメッセージは僕に届き続ける。かれらと同じ時間を生きて、僕も僕のうたを、うたっていこう。弱ってるときは力を借りて、うたおう。

さあ、出かけよう。

未来は僕らの手の中だ。
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by kouichisugimoto | 2007-12-20 15:18 | 日記とか考えたこととか
テライマンも悩んじょる
好きな仕事で生きていく、という件について。

かつていた組織の上司はこういった。
「仕事なんて辛くて当たり前だ。だから給料がもらえるのだ。」
僕は反発した。それならば、好きなことだけで喰ってやる!と。

かってに友人だと思ってるテライマンのログにおもしろい記事が。
「ワクワクを貫きたい」ってエントリー。まっすぐな人だ。美しい。
彼はNPO法人KOMPOSITIONというのをやっちょる。

「分裂勘違いくん劇場」の記事「「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法」というのを見て悩んじゃったらしい。

たしかに、怖い記事だなぁ。


でもねえ、

僕(ら)がやってることって、「好きを仕事にする(出来ててラッキー)」ってなニュアンスと、ちと違うのではないかと思う。

これはね、好き、とかじゃなくて、愛なんですよ。愛。

ちょっと嫌いになったくらいでは、やめられない。

考えて考えて。
動いて動いて。
たまにうんざりもして。
なんかが見えてきちゃったりして。
なんか見えてこなかったりもして。
でもどうしようもない輝き。

そんな感じではないかと思うのですよ。

で、俺ですが。

いまヤングな方々からはすっかり、「杉本さんはいいすね、好きなことで喰えて」とか言われちゃってるわけですよ。みたか元上司!(しゅうねんぶかい)

喰えてない、というところがミソですが。ま、あとは喰えるようになるだけだから、半分以上はクリアしてますしね!(<書いてて自分でもばかだと思う)


仕事は楽しい方がいいに決まっています。

ポイントは、「好きなことを仕事にする」という、そのテの本が、わざわざ売ってて、売れてたりすることでしょう。

(仕事にしたいほど好きなことがあるなんて、取り急ぎ幸せだと思うけど。それが愛になるかどうかは、また別の話だし。)

問題の本質は、人が、仕事に希望を持てない、ってことなんですよね。


若者の絶望を希望に変えるNPOとしては、がんばっていただきたい!

(と、ここまで書いて気づいたんだけど、コンポジションは、若者の「無謀」を希望に変えるNPO、でした。お、落ちなかったよ!ママーー!!)
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by kouichisugimoto | 2007-12-16 22:46 | 日記とか考えたこととか
アートフリマ考
アートフリマが、まちづくりイベントとして発展するための分析と、展望
(かきなぐり版)

■多くの人が通る場所
コミックマーケットとデザインフェスタ、をものづくりイベントの一つの完成型と、僕は見る。しかし、本来ローカルにあれば地域性や独自性から、充分に「まちづくり的」イベントであるはずのこれらは、同好の集いプラスアルファ、くらいになっており(それだけに求心力もあるけれど)、「よりおおくの、道行く人たち」のいない場所で行われている。
(僕は趣味で描いていた絵を数点、なじみの喫茶店に飾ってもらったことがあるがが、グループ展でギャラリーを借りたときよりも、「直接的ではない多くの成果」を得たと感じた。「観てほしい人」にとっては、「自分(の作品)と出会ってほしい」という、強い思いがあります。)

以前、府中のデパートの前庭(通りに面している)で行われたアートイベントを視察に行ったが、そこは道行く人たちに向けた形で店を並べるスタイルだった。
主催者は、「パリの、日曜の広場のイメージだ」といった。デパート側には「費用の掛からない賑やかし」をプレゼンしていた。とても影響を受けた。


■二人のお客さんとイベントとしての利点
イベントとしての強みは明快で、主催者が支度するものが少ない、という点。
飾るものも、タイムスケジュールも、司会者もいらない。代わりに、場のすべてを構成してくれる「出展者」というお客と、それを観る「来場者」という、二種類のお客が居る。逆に言えば、主催者は、二種類のお客様を相手にしなければならない、困難なイベントでもある。


■WEBの事情と情勢
ものづくり作家の紹介WEBは約10年前から、活発に発生/消滅している。結局は、作家が期待するのは「売り上げ」「なんらかの仕事、その可能性の発生」であり、WEBという「場」を用意したところで、それは何も役割を果たさない。コーディネーターによる積極的なマッチングや、その成果を発表するなど、人間の動きが不可欠。


■個人と公共が出会うきっかけとしてのものづくり
ある福祉施設がある。支援者500人に毎月送る広報誌、更新するサイトを持っている。その近所に、ちょっと人付き合いの苦手な、イラストの得意な子がすんでいる。
ボランティアでもなく、仕事でもなく、それをマッチングさせることができたら。


■公共施設のよい使い方としてのものづくり
ある表現者が居る。あるいはグループがある。NGOやNPOには関心はない。
しかし、地域活動につながることで、自分たちの発表の機会が得られる・・・公共施設を
使えると、知れば。NGOやNPOを識り、売り上げからドネーションをするという「手法」と出会うことで、いままで「無」であった関心が、生まれ、伝わり、関わる可能性が出る可能性がある。それをよしとしたい。
>>施設におけるコーディネーション、NPO/NGOとの仲立ちをすることが重要


■広報費と人件費
主催者側に求められるのは「空気づくり」と「イメージづくり」、そして「方向性の提示」だと思う。ネガティブな感情が生まれにくい環境・会場づくりをし、イベント全体のカラーを定義し、かつ、目的が何であるか、を言い切ることだと思う。そのため、広報費と人件費に掛ける費用について、重要と考える。
「個」の世界をそれぞれに、制限付きであれ、展開しながら、「ともに時間を共有している」ことを充分に伝えていかないと、トラブル発生の可能性は高い。主催者の「仕切り」が、従来のイベントとは違うことをよく学習すべき。


■理想の「地域ものづくりイベント」の姿
・福祉作業所の商品
・NGO等が扱う商品
・NPOが活動をPRするための商品
・イラストレーター、ライター、雑貨作家などのつくる商品
・それを目指すひとたちのつくる商品
・趣味、自己表現としてつくられる商品
・上記のようなものを体験させるワークショップなどの商品
・イベントとしてみんなで作る作品
まだまだあるが、これらをすべて「混ぜる」ことが鍵になってくる。
混ぜることで、それぞれの「ものづくり」たちの弱みは補完され、同時に
「自分の表現を成長させるための」出会いの期待も高まる。
もちろん、来場者にPRする魅力のUPにもなる。

>>混ぜていくデザイン、交流する仕組み作りが今後の最重要課題。


■それぞれのものづくり現場が抱える問題とは
「福祉まつり」「コミックマーケット」「イラスト展」「NGOショップ」などは、いずれも商品の内容と言うよりは、自分たちのスタンスの宣言をしているのであり、「客=来場者」にとって訴えるものではない。メッセージは、看板のうしろに書くべきものであり、来場者をどう処遇するかに専念する視点が大切。
だが、同好の士のみで企画すれば、主張を隠すことは困難である。混ぜることで、ちょっと俯瞰し、その客観視点をもてる。
「みんないっしょ」に、物足りなくなったとき、初めて、自分たちの看板とメッセージを前面に出せばよいのでは。
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by kouichisugimoto | 2007-11-13 23:39 | 日記とか考えたこととか
おもしろくないことはよくないことだ。
(風邪引いて集中できず散漫な文章になりました・・・上手くまとまりませんが、実際、迷いの中にいる訳でして、読んでやろうという方には申し訳ないですが、お許しください。)

■お上の仕事
行政に近からず遠からず・・・みたいな仕事をしていると、つくづく自分の中の「お上」意識に気づく。お上に文句を言う市民、お上にさからう運動家。ぼくは言ってみれば「おもしろいでしょ?という名の下に批判する運動家崩れ」みたいな感じか。

かつて僕の居た組織は、わりと左翼的スタンスの事業体で、「日本の民主主義は、勝ち取ったものではなく、与えられてお上が作ったものだ」といったような論を初めて聞いたのも職場でだ。けれど、「そうだそうだ」と思いつつ、「そんなこと言われてもなあ・・・」と感じていた。

今思えばそれは打開のアテのない、閉塞した感じ、を感じたのだった。

たとえば「橋」。かつては資産家の個人がコミュニティのために作ったり、金を出し合ったりして作っていたが、いまある橋はほとんどがお上の作ったものだろう。

一方、革命をして、王様から民主主義を「勝ち取っ」た国は、橋も道路も「わしらのもの」である。(だから街にゴミを捨てない、などという例えで良く聞いた話。)

でも、今や、お上が作ったものはあまりにも途方もなく、対立(するはずの)概念は具体性がない。自民党風味なものたち同志が争うことが、いつだって話題の中心だし。


■市民運動家の理想社会
究極に、日本の市民運動家たちの理想とするところは、「市民社会の実現」「市民革命」のようなものであり、自民党風な世の中の転覆であると思う。

でも、今やそれらは(まとまりがないので「彼ら」とか言わない)、日々自分の小さな庭を耕しながら、社会を傍観しているように思える。たまに文句言いながら。

革命や転覆を「起こす」ための上手いやり方は、結局見つからなかったのだろう、と思う。「運動」はそのイメージを一旦、おとしめられた(敗者だから)。たぶん、メディアの力によって。

街でデモ行進をする人がいる。ビラを持ち、ハチマキと、旗をもって。
署名運動をする人がいる。拡声器で、声をからして訴えるのは、正義。

かっこいいと思う人もいるのだろうか?僕は、長らく辛かった。なぜって、許された場所で、許された形でしか、やっていないから。創造力がないのか、表現方法がないように見えるから。檻の中の絶滅危惧種のようだった。

(※いまは、おもしろい人もいっぱいいますし、サブカルっぽい取り上げられ方も定着してきたように思う。)


運動は本来、神輿さながらに「ワクワクドキドキ」するものでなければと思う。わけもわからず、熱に浮かされ、うっかり参加してしまい、あこがれる人が出来て、はまって、あとから勉強するとか。

・・・そういう風潮を「不真面目、不謹慎」として、理性的にあろうとする(よくわからんがストイックな感じの)態度が、「はやらなかった」原因なのだと思う。

はやらないものは広まらないとおもうのだ。


■「事業」の形を以て「事業」を制す
今日から明日への日々を、今年度から来年度への日々を、進めていくことについて、官の力は重要だし、せっかくここまで高度に進化したのだからこのまま行けばいいと思うのだ。3年後以降のことは、考える必要がないシステムなのだ。(いいすぎか?)

だから、新しいことをやったり、「将来」や「未来」ビックリビジョンを生み出すのは、事業を以て社会に関わる、社会事業家の仕事であろうかな、とおもう。

ここで僕のイベント屋、アイディア屋としての真価が発揮・・・されるといいなと思う。

やっぱ・・・時代はNPOなのか?でも、なんか上手い方法はないかしらん・・・。
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by kouichisugimoto | 2007-11-08 00:01 | 日記とか考えたこととか
世田谷アートフリマはステキだと思うことの説明。
夜が明けたら、お日さまがぐあーーーと昇って、そしたら、まつりが始まる。僕らが産み育てた、僕らのまつりだ。

世田谷アートフリマも気がつけばもう8回目だそうな。
おもえば2003年秋に第一回目を開催、途中から好評にて年二回となり、そうか、もう2007年も終わっていくのだね。30代も半ばになるはずだ。

今回は、世田谷美術館の、前庭での「出張バージョン」を試みます(土曜だけ)。久々に、心地よい緊張感。当日、三茶に僕がいないのも、5年間ではじめてのこと。

合計100組の出展者、来場者数コンスタントに10000人オーバー、過去、ほぼ、雨知らず。・・・これはイベントの「データ」。

すごいよねえ。たくさんの人の休日を、その週末の幸せを、預かっているような・・・それは錯覚なのだけど、そう考えると、なんだかすごく、力がわく。みんなで、「楽しくしたい」という想いの元に、作っていくから、暗い力にじゃまされない。神さまって言うのは、そういうときに宿る、目に見えない力のことかもしれない。

ねえ、だから楽しいに決まってるし、来たら楽しくなるし、せたがやじんと握手すると、それはもっと伝わるんだよね。だから、遊びに来たらいいんだよ。いっしょに楽しみましょう。

今回も、暖かな秋晴れをよろしくお願い、お天道さま。

僕の仕事は、祈ることだけ。安全と、楽しさを。でもそれ、とても大切。
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by kouichisugimoto | 2007-11-03 00:39 | 日記とか考えたこととか
※※出展者の皆様へ※※
アートフリマINセタビの会場イメージです
クリックで拡大表示します


プリント用にPDFもご用意しています
http://kougyou.jp/setabi.pdf

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by kouichisugimoto | 2007-10-28 00:14 | 日記とか考えたこととか