おもしろくないことはよくないことだ。
(風邪引いて集中できず散漫な文章になりました・・・上手くまとまりませんが、実際、迷いの中にいる訳でして、読んでやろうという方には申し訳ないですが、お許しください。)

■お上の仕事
行政に近からず遠からず・・・みたいな仕事をしていると、つくづく自分の中の「お上」意識に気づく。お上に文句を言う市民、お上にさからう運動家。ぼくは言ってみれば「おもしろいでしょ?という名の下に批判する運動家崩れ」みたいな感じか。

かつて僕の居た組織は、わりと左翼的スタンスの事業体で、「日本の民主主義は、勝ち取ったものではなく、与えられてお上が作ったものだ」といったような論を初めて聞いたのも職場でだ。けれど、「そうだそうだ」と思いつつ、「そんなこと言われてもなあ・・・」と感じていた。

今思えばそれは打開のアテのない、閉塞した感じ、を感じたのだった。

たとえば「橋」。かつては資産家の個人がコミュニティのために作ったり、金を出し合ったりして作っていたが、いまある橋はほとんどがお上の作ったものだろう。

一方、革命をして、王様から民主主義を「勝ち取っ」た国は、橋も道路も「わしらのもの」である。(だから街にゴミを捨てない、などという例えで良く聞いた話。)

でも、今や、お上が作ったものはあまりにも途方もなく、対立(するはずの)概念は具体性がない。自民党風味なものたち同志が争うことが、いつだって話題の中心だし。


■市民運動家の理想社会
究極に、日本の市民運動家たちの理想とするところは、「市民社会の実現」「市民革命」のようなものであり、自民党風な世の中の転覆であると思う。

でも、今やそれらは(まとまりがないので「彼ら」とか言わない)、日々自分の小さな庭を耕しながら、社会を傍観しているように思える。たまに文句言いながら。

革命や転覆を「起こす」ための上手いやり方は、結局見つからなかったのだろう、と思う。「運動」はそのイメージを一旦、おとしめられた(敗者だから)。たぶん、メディアの力によって。

街でデモ行進をする人がいる。ビラを持ち、ハチマキと、旗をもって。
署名運動をする人がいる。拡声器で、声をからして訴えるのは、正義。

かっこいいと思う人もいるのだろうか?僕は、長らく辛かった。なぜって、許された場所で、許された形でしか、やっていないから。創造力がないのか、表現方法がないように見えるから。檻の中の絶滅危惧種のようだった。

(※いまは、おもしろい人もいっぱいいますし、サブカルっぽい取り上げられ方も定着してきたように思う。)


運動は本来、神輿さながらに「ワクワクドキドキ」するものでなければと思う。わけもわからず、熱に浮かされ、うっかり参加してしまい、あこがれる人が出来て、はまって、あとから勉強するとか。

・・・そういう風潮を「不真面目、不謹慎」として、理性的にあろうとする(よくわからんがストイックな感じの)態度が、「はやらなかった」原因なのだと思う。

はやらないものは広まらないとおもうのだ。


■「事業」の形を以て「事業」を制す
今日から明日への日々を、今年度から来年度への日々を、進めていくことについて、官の力は重要だし、せっかくここまで高度に進化したのだからこのまま行けばいいと思うのだ。3年後以降のことは、考える必要がないシステムなのだ。(いいすぎか?)

だから、新しいことをやったり、「将来」や「未来」ビックリビジョンを生み出すのは、事業を以て社会に関わる、社会事業家の仕事であろうかな、とおもう。

ここで僕のイベント屋、アイディア屋としての真価が発揮・・・されるといいなと思う。

やっぱ・・・時代はNPOなのか?でも、なんか上手い方法はないかしらん・・・。
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by kouichisugimoto | 2007-11-08 00:01 | 日記とか考えたこととか
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