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飽和する死、僕の世界と、僕。
食物連鎖の頂点に立った生き物は、純粋に「死」を抽出し、意識し、恐れ始めるのではなかろうか、と考えたことがある。

筒井康隆の小説にこんなのがあった。
増えすぎた人類が「天敵」を自ら発明するというもの。僕はなんか恐竜みたいなものを想像しながら読んだ覚えがあるが、「天敵」の動向はニュースで報告され、次々と人間が「天敵」により殺されていく。
すると劇中では、「天敵による死」は、割とドライに描かれるのだ。「○○君、遅刻?」「いやあの辺、天敵が出て、やられたらしいよ」「そっかー」みたいな。

そんなものかもしれない。

死を恐れ、死を盾に生き、まだかかっていない病を恐れ、死神や死後の世界を想像する、人間。

身近な死が無いことによって、さらに、肉親の死が病院のベッド上になることで、さらに死は遠い存在になる。

身近な死の経験がないと、生きる感覚も希薄になる。

体を傷つけて、生きる実感を得ようとするもの
体を無視して働き、生きる実感を得ようとするもの
他人を傷つけて、生きる実感を得ようとするもの
自分を殺して、生きる実感を得ようとするもの

そんなんばっかじゃね?死が飽和してる。もったいない。

「死んでいないすべての人間」が生きている以上、
死を語ることは本当に、難しい。

いわゆる霊能力者など、その道の人たちは、おそらく死を身近に置き、親しんでいるから、その辺のノウハウを伝えられないものかなー。

日本の死刑制を廃止せよ、とアムネスティインターナショナルは言う。硬派で、いかにもといった存在のNGO。スタンスのあり方は昔から好きだけど、日本で死刑廃止がなされるとして、それは自分らで考えて決めたいと思った。

僕?

死、めちゃ怖い!!

生きてぇ~!生きていてぇ~!超生きてぇ~!!
by kouichisugimoto | 2006-07-08 00:08 | 日記とか考えたこととか
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